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患者の言葉
(過去にライフトラック療法受けた患者のコメント)
周囲から見ると理想的なカップル結婚7年離婚寸前:
1.
L子:
知的で有能な30代半ばの女性。結婚生活7年目で離婚寸前の夫R男がウツになり、心配して診察を受けることを奨めた事がきっかけで、夫と一緒に治療を受ける事になる。
2.
R男:
成績抜群の会社員でありながら、仕事も常に不満、L子との結婚生活にも飽き足らず、常により良い職を求めて転職を考え、より若く美しい伴侶を求めて、離婚を決意していた。
F太郎『俺は何でこんな女と結婚してしまったのか?』
B江『もっとましな男と結婚すべきだった』:
3.
F太郎:
30代前半、誠実で、優しく、常に不満で絶えず彼を困らせる妻B江を深く愛している。
4.
B江:
20代後半、以前から不安、パニック症状、イライラ、各種身体症状、激しいウツ、自殺願望があり、怒り出すと錯乱的にF太郎に対して乱暴する。
7ヶ月の激しいウツ、 6種類の薬を毎日服んでも軽快せず:
5.
T子:
50代半ば、成功した企業幹部社員の妻、激しいウツで、7ヶ月に及ぶ治療(毎日6種類の薬を服用)
を受けたが一向に快方に向かわず。国際電話とインターネットを使ったライフトラック療法で完治。
内科の薬の副作用ででウツになり、性格が変わってしまった夫:
6.
M枝:
40代、夫が内科の治療で受けた投薬の影響でウツになり、夫を連れて来診。
7年越しのウツ、毎日欠かさず薬を服んでも軽快せず:
7.
B次郎:
40代前半、一流会社に就職し、結婚したが7年前から鬱になり、次々と7人の精神科医の治療を受け、抗ウツ剤と抗不安剤を毎日欠かさず7年間服用したが軽快せず来診。
『私は結婚して、子供を産むべきでは無かった!』:
8.
C恵:
30代前半、知的で有能な女性。仕事を辞めて、結婚し、子供が出来た頃からウツが始まる。
最も愛している相手を酷く傷つけてしまう二人:
9.
A美:
20代後半、才能あり野心的なアーテイスト。『境界性人格障害』Borderline Personality Disorderの典型的波乱万丈の経歴。恋人N之と同棲し始めてからイライラ、頭痛、発熱に苦しみ、激しく彼に当たり、又ウツが頻発して来診。
10.
N之:
30代前半で既に独立して会社を始めた自立心強固な青年経営者。自分の少年時代の『境界性人格障害』を成長と共に自力で乗り越え、優しく、自己制御に長け、達成意欲旺盛。A美を熱烈に愛して諦めず。
パニック症状の恐怖:
11.
S代:
40代半ば、ビジネスマンR蔵と結婚して3児の母。病気を知らない、元気者の頑張り屋として知られていたが、2年前突然パニックに襲われて以来別人のように気弱で病弱になる。
12.
R蔵:
40代後半、タフなビジネスマン。S代の治療に参加したが、治療が長引くにつれ、ライフトラック療法に対して懐疑的だった。
13.
F子:
30代半ば、結婚4年。誠実、責任感旺盛、有能で、自立心の強い完璧主義者、他人には優しく思い遣り深い。しかし、数年来パニック症状に悩まされている。
14.
ソフィー:
40代、忙しいビジネスマンの妻。明るく、社交的で、有能、責任感旺盛、家事もスポーツも大好きと言う元気な頑張り夫人が突然劇的な身体症状を呈し、各科の専門医に診察を受けたが軽快せず来診。
15.
J子:
20代前半の学生。2年前に寅男に合い、1年前から同棲をはじめて数ヶ月後から情緒不安定になりました。緊張、イライラ、月経不順、吐き気、倦怠感、落ち込んで涙が止まらない、そして寅男に激しい怒りが暴発して、物を壊す、乱暴する等が続き、婦人科径由で来診しました。寅男と一緒に行った6ヶ月のライフトラック療法で、J子は典型的な境界性人格障害を乗り越える事が出来ました。
16.
寅男:
20代の学生。1年前からJ子と同棲をはじめて数ヶ月後から彼女が情緒不安定になり、緊張、イライラ、月経不順、吐き気、倦怠感を訴え、落ち込んで涙が止まらない、そして寅男に対し激しい怒りが暴発して、物を壊す、乱暴する等が続き、寅男は耐えかねて彼女を同伴して来診しました。寅男も参加する6ヶ月のライフトラック療法で、J子は典型的な『境界性人格障害』を乗り越える事が出来ました。ところが、J子が安定してくると寅男自身が鬱になり、J子の優しい支えで鬱を乗り越る過程で彼自身も成長安定する事が出来ました。6ヶ月の治療終了後、『境界性人格』のパートナーとの関係に苦しむ人の為に次の体験談を残してくれました。
L子のコメント [Top]
知的で有能な30代半ばの女性。結婚生活7年目で離婚寸前の夫R男がウツになり、心配して診察を受けることを奨めた事がきっかけで、夫と一緒に治療を受ける事になるりました。治療終了後彼女は次のような治療体験の感想文を将来の患者の為に書いてくれました。
最初は、主人の付き添いとして彼の治療を助ける為に参加したつもりが、実は自分自身が『二人で幸せになる、ということの意味』を学ばなければいけないということに気付きました。
結婚して7年が経ち、いろいろなことが起こり、はじめは楽しさに満ち溢れていた結婚生活は一体どうなったの、そもそも結婚制度自体に無理があるのではないか、等と考えていた頃は、『幸せになる』ということは自分の気持ち次第や努力でいかようにでもなるものと思っていました。『私は何時でも幸せだ、私が幸せになるのに他人の存在を当てにするのは本物ではない』と言うのが、その頃の私の『幸せ』の定義でした。すなわち、結婚における互いの幸せというものは、自己責任と思っていたのです。『私の幸せについては、なんら彼に求めることは無い。もともと幸せを感ずることのできる二人がいて、充実した幸せな結婚生活が可能になるはずだ。しかしながら、彼にその要素が無いなら、私が感じている幸せを彼も感じられるように彼の方も何とかしなくては』と言う、おせっかいで、優越的な気持ちから彼に治療を勧めたのかもしれません。ところが、治療を始めて間もなくのセッションで、そんな私の優越感は崩れてしまい、自分にも問題が有ったのだということに気付きました。私の自己採点のライフトラックグラフによれば、自己が達成や親近関係よりも大きくなっているという先生の指摘を受け、これは私の性格が極めて防衛的で親近関係や達成から自己を切り離して保持しようとしているからだとの説明を受けたからです。
かつての私は、"It takes two to tango."という文句を聞いて"だったらTangoでなく一人でできるものを見つければよい"と考える性格でした。そんな私が
"Tangoの世界"で一人で幸せになろうとしていたのです。幸せを感じる為に親近関係は欠かせないものであり、親近関係は一人では築けない。親近関係は誠実な相手と二人で作るものだということに気ずいたのです。かつては、自分がされて嬉しいことを相手にもするというある種の義務感にかられて一人むなしく空回りしている状態だったのが、親近関係を作ることによって、『愛情のキャッチボール』を通した相乗効果で更に高度な嬉しさを見つけるこんとができるようになったのです。
結婚って何だろう、他人同士が制度に縛られて一緒に暮らしていくことなのか、どうしたらその束縛をも楽しさに換えられるか、考えれば考えるほど複雑に感じた結婚生活でしたが、『親近関係』の存在を知ることによって意外と単純な事と分りました。その親近関係は更なる不思議な効用をもたらしてくれました。今では、話すことが無くても話したい、声を聞きたいと言う気持ちが湧いてくるのです。勿論そんな理由で仕事場に電話をしたりE-Mailを打ってしまっても嫌がらずに応答してくれる夫に変身したからこそ可能なのです。そうして毎日過ごしていると、以前は嫌気さえさしていた自分の仕事に、『仕事があるだけでも幸せだ』といった姿勢でのぞめるようになったのです。さらに驚くべきことに仕事場での人間関係においても以前のように些細なことで怒り、その後何日かをいやな気分で過ごしたり、第三者を巻き込みかえって気まずい雰囲気を生んでしまう、といったことがなくなったのです。それが恋愛期間中のように、『私には素敵な彼が居るのだからいいんだ』といった解決法ではなく、取り組むべきことに気持ちが自然と集中して結果的に否定的な事に執着しないで済む、ということの様なのです。
更に驚いたことは自分の性格の変化でした。傷ついた気持ちを怒りで相手に伝えていた自分の短所が、夫とより近付く努力をすることによって見え始めてきたのです。彼に対して怒りを覚えたら威圧して改善してもらうのではなく、それをされると悲しい、と表現するほうが効果てきめんであることに気が付いてから、彼に対して怒ることがなくなりました。怒りの無い生活が如何に平穏無事で爽やかなのものか日々感じております。夫婦そろって精神科の先生に治療していただくことは、夫が色々と悩んだり、苦しんだりする一面を持っていることを知ってから、自分の中で密かに願っていた事でしたが、このように自分も参加することによって、大きく自分まで変われるとは考えて居りませんでした。『この人との結婚に踏み切ったのは正解であった』と毎日感じられるようになりました。先生には感謝に絶えません。そして、ひたむきに愛情表現のお手本を示してくれたデイジー(ゴールデンリトリーバー)ちゃん、どうもありがとう。又お目にかかれる事を楽しみにいたしております。(将来の患者さんの参考の為に書いていただいたものです)
L子のグラフとドクター石塚のコメントは:(症例を見る)
次は夫のR男のコメント
[Top]
R男:上司から期待をかけられている成績抜群の会社員ですが、彼は常に仕事に飽き足らず、より遣り甲斐のある職を求めて転職を考えていました。上司や周囲からは極めて評判の良い結婚相手のL子にも不満で、より若い美しい女性を求め、離婚を考えていました。彼を深く愛しているL子も遂に諦めて、離婚の書類に5日後にサインすることに同意していました。その日が近ずくにつれ元気の無いR男の様子を心配したL子の勧めで、内科の検診を受けた医師から紹介されてR男が一人で来診しました。
以下は、12ヶ月に及んだ治療が終わって3ヶ月後に、R男が書いた体験談です。
週に一度のRye通いがすっかり習慣になってしまい、石塚先生のお宅に伺わなくなってからしばらくの間は、アポイントメントの無い週末がかえって不自然に感じてしまうほどでした。カウンセリングが終わって3ヶ月が過ぎ、今一度学んだことを振り返ってみると、枝葉末節が取り除かれ、先生から教えていただいたことが、より鮮明になってきているような気がします。
それは、『人間は自分で判断する力が有り、その行動には責任が伴うということ。そして、幸福も不幸も自分の判断と行動でコントロールできるものであり、自分の不幸や悩みを他人や時代のせいにしていたのではなにも解決しないということ。判断する際には『本当に大事なこと』を感情に任せるのではなく、理性で見極めること。そして、『本当に大事なこと』とは、『幸せ』を実感すること。『幸せは、自己と達成と親近関係の調和から生まれること』。
多くの人が、身近にあるはずの『愛』を見過ごしながら『愛が無い』と嘆き、あるいは絶望し、その穴埋めとして仕事における達成感を追い求め、『仕事だから仕方が無いよ』と言う言い訳を口にしながら家庭や大事な人を二の次にしてしまう。他人と比べることによってしか自分の位置を確認出来ない者は、絶えず他人と自分を比べ、優越感に浸ったり、安易に絶望したりしてしまい、その繰り返しの中で、自分らしさや『本当に大事なもの』を見失ってっていく。殊に、学校の成績や試験という相対的且つ一面的な物差しでのみ自分を計る事に慣らされ、社会に出てからも『成果主義、収益至上主義』と言う会社の論理に縛られて『本当に大事なもの』を見失いがちな大人たち。あるいは、愛する人を傷付けたり、愛されていると思っていたのに裏切られることによって、他者との関係に疲れ果てて自分の殻に閉じこもってしまう人々。それは、決して他人の事ではなく、実は自分自身のことであるということに気付かされました。
勿論、一年間のカウンセリングで全てが解決するわけではなく、これからの人生の中で一歩ずつ自分を変えていかなければいけないのですが、石塚先生との出会いは、そのきっかけと指針を与えてくれたという意味で、とても重要な出来事でした。これからも、困難な局面に直面し、苦しみ悩むこともあるはずです。しかし、今は、その都度如何にすればその状況を打ち破ることができるかという方法を学ぶことが出来ました。そのときには、石塚先生に頂いた言葉を思い出し、自己と達成と親近関係のバランスをチェックしながら、『本当に大事なこと』を見失わないようにひとつひとつ解決していきたいと思います。
一年間のカウンセリングは治療の終りではなく、新しい挑戦の始まりであると思います。今後ともよろしくお願いいたします。
これからも毎日のライフトラック www.mylifetrack.com による自己採点を続け、お互いのグラフを見せ合い二人で励ましあい前進を続けるつもりです。もし万一石塚先生のアドバイスが必要になった時には、簡単に電話とインターネットで最近の経過を分析指導を受けることが出来ますが、我々の目的は、毎日の自己採点を手がかりに二人で成長前進を続け、石塚先生を煩わせないことです。(将来の患者さんの為に書かれた体験談)
R男のグラフとドクター石塚のコメントは:(症例を見る)
F太郎のコメント
[Top]
F太郎は30代前半、誠実で、優しく、妻B江を深く愛しています。ところがB江は常に不幸で不安にさいなまれ、怒りっぽく、万年病人のように体の至る所に故障があり、しばしば激しいウツになり、しかも喧嘩すると彼に暴力を振るう等、常に彼を困らせていました。困難な、1年半に及ぶ治療が遂に成功した後、彼は次のような体験談を将来の患者の為に書いてくれました。(医師のリストに患者が体験談を寄せる公共のサイトに投稿しました。)
私は、激しい不安とウツに悩まされていた妻に同伴して、石塚先生の治療を1年半にわたって受けました。最初は、自分も毎回のセッションに妻と一緒に参加することに納得が行きませんでした。妻の病気は私とは全く無関係だと思っていたからです。ところが、治療が進むに連れて、私の考えが完全に間違っていたことに気付きました。実は彼女の症状に私は中心的に関与しており、私の全面的な協力無しでは、彼女の回復成長が不可能であることを知ったのです。週一回 (後半は2週に1回)の治療で妻は劇的に元気になりました。治療のお陰で、彼女は永年悩まされてきた、人ごみの恐怖、万年病人のように絶え間の無い体の不調を乗り越えたのです。しかし、何にもまして、治療過程で我々は二人の親近関係を劇的に強化し、ストレスの原因を二人で更に近付く過程で乗り越えることを学んだのです。治療開始当時には夢にも想像の出来なかった親密で幸せな関係を体験できたのです。この治療を受けていなかったら、我々二人はどうなっていたか想像も出来ません。www.mylifetrack.com は毎日の自己採点を入力して直ちにグラフを見ることができるので大変便利になりました。
F 太郎のグラフとドクター石塚のコメントは: (症例を見る)
B江のコメント [Top]
B江は20代後半、永年不安、パニック症状、イライラ、各種身体症状、ウツ、自殺願望、に悩まされ、F太郎と結婚してからは、怒り興奮すると錯乱的な乱暴をして彼を困らせてきました。1年半に及ぶ困難な治療が成功に終わった後、彼女は次のようなコメントを医師のリストに患者が体験談を寄せることの出来る公共のサイトに投稿しました。
私は突然人ごみに出たり電車に乗るのが怖くなり自分で自分の体のコントロールが出来ないような状態に悩まされた時に石塚先生のところに行くことになりました。先生のオフィスまで電車に乗っていくのはその時の私には無理だと思い一度は治療に伺うのをあきらめようと思ったのですが、電話で先生に励まされ勇気を出して行きました。あの時に恐怖感や症状が有りながら思い切って電車に乗って先生のところに治療に伺い石塚先生に会えて本当に良かったと思います。今では主人と飛行機で旅行に行ったり出来るほどになり、症状も消えてその上以前には感じたことの無い幸福感までも見つけることが出来ました。ほんの数ヶ月前まではこんな風に自分がなれるとは思っても居ませんでした。余談ですが、先生のところに行くとデイジー(ゴールデンリトリーバー)
が私と主人を嬉しそうに毎回出迎えてくれました。そのお陰で、大きな犬が怖かった私が今は大きな犬も人なつっこくてかわいいなあと思えるようになれました。これも私にとっては大きな変化です。
B江のグラフとドクター石塚のコメントは:(症例を見る)
T子のコメント [Top]
T子は50代半ば、成功したビジネスマンの妻ですが。7ヶ月前から激しいウツになり、大病院に通って治療を受け、毎日6種類の薬を服用しても一向に快方に向かわない為に、国際電話によるライフトラック療法を試み、完治した一年後に次のコメントをを医師のリストに患者が体験談を寄せることの出来る公共のサイトに投稿しました。
主人の友人の紹介で、石塚先生の治療を始めたのは昨年の10月末でした。当時7ヶ月続く鬱病で大病院に掛り、6種類の薬を服んで居ましたが一向に回復せず、絶望感だけの毎日でした。毎週土曜日、主人も加わっての国際電話の治療は最初苦痛でした。一回目の電話で先生は、1月半で鬱が消えるとおっしゃいましたが、そんな事は絶対に起こる筈がないと思っていました。この状態で暗い辛い新年を迎えることを覚悟していましたが、年末から鬱が嘘のように消えました。考えて見れば先生のおっしゃった1月半は、丁度その時期でした。今まで見ることが出来なかったテレビが集中して見れ、食べられないとおもっていたおせち料理も食べられ希望がわいてきました。それからは先生の治療に積極的になり、命綱のように電話を握り締めてお話を伺いました。今まで、気分の浮き沈みはありましたが、あの悪霊に取り付かれたような鬱はやってきません。人生は楽しい、という気持ちが以前より増して、感性が豊かになりました。美しいもの、楽しいこと、周囲の人々など、全てに感謝の気持ちが湧いてきます。そして何よりも先生と主人に心から感謝しております。
《T子、治療終了後三年後のコメント》
治療終了三年後、彼女の症例を出版するに当たり、その内容の正確さの確認と出版の了承を求める為に彼女に連絡しました。その際、治療終了後三年の時点で以下の感想を頂きました。
電話での治療を終えて早三年経ちました。あの悪夢のような鬱におそわれ、やっとの思いで毎日を過ごした一年間…
出来るなら記憶から消してしまいたいと誰しも思うのではないでしょうか。しかし私はあの一年を大切な経験として心に深く刻み込みました。それは私にとって「飛躍」するための「土台」であったからです。
治療を始めた当初先生から「鬱になっておめでとう!治ったら前より元気になりますよ」と言われ、気休めとしか思えなかった私ですが、現在はその通りなりました。性格が変わったとか外交的になったと言う事ではなく大切なものは何かがわかったのです。宗教が説く愛については長年聞いておりましたが、精神科医の立場から理論的分析的に親近関係を説かれるとぼんやりしていたものが確信に変わりました。
長年多忙な夫とのいずれ来る老後を考え始めた時じわじわと鬱が襲って来たのです。今迄いかに夫に依存して生きて来たか、自分の弱さ頼り無さにひどく不安を感じ始めました。
これからは夫との距離をおいて精神的に自立しなければ、一人になった時のみじめさは明らかです。まだ起こってもいない将来の不安におびえ、鬱はますますひどくなり大病院に通い薬づけの毎日でした。半年後夫のつてでようやく先生にたどりつくことができました。
先生のアドバイスは、夫との距離を置くどころか逆に出来るだけ近ずくようにと言う事でした。なにやらよく理解できずに二ヶ月たった頃、うそのように鬱が消え頭の中の闇がはれたのです。近づく、頼り頼らせる、受け入れる…等 つまり先生は愛についてあらゆる角度から説かれているのだ、とようやく気がつきました。自分の一番大切な人を受け入れ近づき頼ると言う、愛情があれば当然の行為を忘れ、御身大切さから自己愛の虜となっていたのです。
夫と二人でうけたセッションのお陰で、我々は愛し愛される相互依存の関係を学び、その結果精神のバランスを取り戻すことができました。人から愛される人は幸せです。愛される人は人を愛します。こんな当たり前のことを忘れ1番大切な夫とむきあわず、自立どころか鬱の穴に落ちてしまったのです。
先生のユニークな御指導と夫の惜しみ無い協力のお陰で私は鬱を乗り越えることが出来ました。この三年間、まるで死から生還した人のように小さな事に感動し感謝している毎日です。夫との親近関係を軸として、自分にかかわる周囲の方々とのバランスのとれた関係が強化され、これが自己の精神バランスを支え、前むきな生き方を体得出来ました。
二年前からゴルフを始め筋肉と体力がついたせいか、三歳年はとりましたが中身は若返っています。夫と共通のの趣味も増し週末は渋谷の若者達に混じって映画を観たり、青山の流行りカフェでお茶を飲んだり楽しんでいます。我々のような中年カップルはめったにいませんが…。
惜しみ無く愛を与え喜んで愛を受ける、これこそが幸せのキーワードと確信いたしました。先生は遠隔操作で鬱を治療し福音を伝えるIT時代の精神科医です。
心から感謝をこめて T子
T子のグラフとドクター石塚のコメントは:(症例を見る)
M枝のコメント
[Top]
M枝は40代、主人が内科の病気で一年間受けた投薬の副作用で鬱になった時に、来診しました。数年後に彼女は医師のリストに患者が体験談を寄せることの出来る公共のサイトに次のように投稿しました。
主人が体調を崩し、現地のドクターから薬物治療を受けたのが約2年前。1年近くその薬を服用した頃、その薬害のせいで、全く人格が変ってしまいました。明るい性格だったのが、鬱状態になり、自殺まで思いつめ、家庭崩壊の一歩前の状態でした。そんな時に人からの紹介で石塚先生を知り、藁にもすがる気持ちで、カウンセリングを受けました。主人と一緒に夫婦で一緒に受けるカウンセリングに行くたびに自分の素直な気持ちをさらけ出すということは本当に必要だと感じました。精神科というと頭のおかしい人が行くところという観念を持った人も居るのでしょうが、誰でも、ほんの少しの小さなことがきっかけとなり、落ち込んだりすると思います。もし貴方がしんどいなと感じたり、友人に愚痴をこぼすだけでは満たされない程辛くなったら、ぜひ石塚先生にお会いになることをお勧めします。貴方の気持ちを分析し、分りやすく説明しカウンセリングしてくださいます。
B太郎
[Top]
B太郎は40代前半のサラリーマンですが、一流会社に勤務し、結婚して約10年、仕事上の責任が増えた7年程前から鬱になり、次々と7人の精神科医の治療を受け、抗鬱剤と抗不安剤を毎日欠かさず服用したが軽快せず来診しました。治療が終わって2年後に、医師のリストに患者が体験談を寄せることの出来る公共のサイトに次のように投稿しました。
私は長い間、鬱の状態で薬を服み続けて来たのですが、症状は一進一退で完治せず、『鬱と一生の付き合いかな』と半ば諦めて居りました。ふとしたきっかけで、先生のことを知り、通い始めたのは約3年前でした。最初は、今まで受けていた治療法と余りにも異なる為、ちょっと驚き戸惑いましたが、先生のやさしいお人柄と幅広く深い知識に接しつつ、ご指導を仰いでいるうちに、次第に自己を見る眼が変わって来たようです。3ヶ月位通い続けた頃、今まで欠かさず飲んでいた薬を飲み忘れて平気で居る自分に気付いて驚いたものです。今までの治療法で効果がはっきりせずお悩みの方、一度先生に相談なさっては如何でしょうか。
B太郎のグラフとドクター石塚のコメント:(症例を見る)
(B太郎と夫人の治療過程の詳細は拙著『愛の力で性格を変える-人生のトラッキングによる抵抗突破』(ダウンロード)
を参照ください。
C恵 [Top]
30代前半、知的で有能な女性。仕事を辞めて、結婚し、子供が出来た頃からウツが始まる。 8ヶ月の治療が終わった後彼女は次のコメントをを医師のリストに患者が体験談を寄せることの出来る公共のサイトに投稿しました。
完璧主義で頑張りすぎる傾向のあった私は、自分の抱えていた問題を巧みに隠してなんでもない風を装うことが普通になっていました。それに限界が来たのは去年の夏のことです。主人の海外赴任に伴って、当時一歳半の子供を連れてニューヨークに移り住んだ私は、まだ友人も居ない新しい土地での子育てに悪戦苦闘していました。毎日イライラを募らせる私に、毎日泣き喚く我が子。泣きたいのはこっちだと、ヘトヘトになったとき目にしたのが石塚先生の電話番号でした。先生の理論的でなおかつシンプルなカウンセリングの方法は元気な振りをしていた自分の裏側にあった永年の鬱症状を明るみに出し、それと正面から向かい合うことを可能にしてくれました。パートナーと先生と自分と、三人が一体となって取り組むユニークな方法で、幸せになることにコミットした結果、とてもゆっくりと、確実に、私の鬱は退散し、心が軽やかになっていきました。主人との愛情の絆はより強いものになり、これを拠り所に今後は大概のことは乗り越えて行けると感じています。ユーモアーにあふれ、穏やかな笑顔の石塚先生。同時代のgifted
person の一人として尊敬すると同時に、お日様の方へ私を向き直らせて下さった事に、とても感謝しています。
C恵のグラフとドクター石塚のコメントは:(症例を見る)
A美 [Top]
20代後半、才能あり野心的なアーテイスト。『境界性人格障害』Borderline Personality Disorderの典型的、波乱万丈の経歴。恋人N之と同棲し始めてから特にイライラ、頭痛、発熱に苦しみ、激しく彼に当たり、又ウツが頻発して来診。彼女は両親から日頃『相手に迷惑をかけるからお前は決して結婚してはいけない』と言い渡された程の乱脈ぶりでした。妻帯者やガールフレンドが居たり、彼女に冷たい男性や明らかに不適切な男性には強い興味を感じ誘惑するが、彼女を大切にし、結婚をもとめる男性は徹底的に粗末にし、利用した後に捨てるような事を繰り返して来ました。彼女が来診した時は、粗末にしても、拒絶しても諦めずに彼女に献身的なN之と遂に同居した後、激しい精神の不安定、不安、鬱、突然の高熱、頭痛等を訴えていました。
A美は7ヶ月の治療の終りに次のコメントを将来の患者の参考の為に書いてくれました。
今こうしてペンを執ってみると、何から書いたら良いものか非常に困っています。そして又、実際にこうしてペンを執るまで、とても長い時間を要したように思います。何故なら、それは思い出したくない日々に、自分自身真正面から向き合うことであり、数え切れないくらいの壮絶な過去を順序よく、かつ冷静に受け止めなければならないからです。きっとこれからも自分との戦いは続いて行くのでしょうが、石塚先生とお会いして、半年の節目として今ひとつだけ言えることは、『とても長く辛かった』ということです。
自分自身の"Black Box"の存在に気付き始めたのは19歳の頃、大学に全く馴染めず、夜遊び、渡米を繰り返していた頃だったと思う。ふと気付くとcafe
や barで一人でボーッと何時間も過ごしてしまうことが多くなっていました。『空虚感』という言葉は後から当てはめた言葉なのですが、その頃の私は、空しさを埋める為に、酒に男に。。。と遊び狂っていたのです。これまで成績優秀で、いつも皆の中心に居て遊びも一番、自分自身の将来に何一つ不安を抱いていませんでした。只ひとつ、意味の無い怒りや、錯乱に陥ることがしばしば有ったと言うこと以外は。。。
そんな自堕落な生活を何年か続けているうちに完全に自分を見失い、夢も希望も、又、遊ぶ気力すら失っていきました。そんなある日突然外出先で強烈な呼吸困難に襲われたのです。それから一年近く、私は実家にこもっていました。時には友人と飲みに行くことも有りましたが、何の楽しみも見出せませんでした。そう、『抜け殻』です。泣いて一日を過ごす事が多くなり、全く眠れない日々が続きました。とにかく、とにかく焦りました。なぜなら、もう自分が存在しないのだから…知人の医者に処方してもらった抗鬱剤が少々効いたのか、普通の生活が送れるようになった頃、私は突然ニューヨーク行きを決意したのです。周りの半狂乱的な反対を押し切って、半ば強引に私はニューヨークにやってきたのです。自分の中で何かが叫んでいました。『夢が有った筈でしょう!ニューヨークに行きなさい。必ず元気になるから…』でも、きっとその言葉は今思うと、『愛する人と石塚先生が待っているよ』というものだったのでしょうか?
ニューヨークでの2年間の生活はこれからの長い私の人生の中で、恐らく一番苦しかった思い出となるでしょう。こんな精神状態ではじまったニューヨーク生活ですが、『こういうものは他人から見て分るものではなく、全て自分との戦いなのだ』と、自分に言い聞かせていました。彼と出合ってからしばらくはその強引さと優しさに身を任せていましたが、それでも自分の夢に対する焦りや、制御出来ない感情を持っている事は、始めの内は隠していたと思います。故意に隠そうとしていたわけではなく、それがこれまでの私の他人との付き合い方だったから。。。でも、毎日のように一緒に居るとそうもいかず、気が付くと彼は私の感情の全ての捌け口なって行きました。でも彼は、ゆっくりと優しく受け入れようと努めてくれたと思う。顔を見れば、異常なほど激しい喧嘩を繰り返したと思えは、異常なまでの求愛。。。何度分かれようと思っても何故か別れられない。鬱と錯乱を繰り返して行く中で藁にもすがる思いで私は石塚先生を訪れたのです。私としては、医者なのだから、薬を出してくれればそれで良かったし、そもそも大して期待はしていませんでした。どうせ今までのように、『鬱病』『自律神経失調症』と言われるだけだろうと思っていた私は、とにかく驚いたのです。治療時間の長さはもとより、先生の確信に満ちた言葉におどろいたのでした。もしかして、この先生なら私を地獄から救えるかもしれない。。。嬉しさと安心と、又同じくらいの不安に思わず涙が出たのを今も鮮明に覚えています。私はこの時自分の心の中で大きな賭けをしました。『この治療に彼が一緒に参加してくれたら、きっと私はこの人とずっと一緒に居るだろう。そう、結婚するだろう』と。
治療の最初の2−3ヶ月は本当に一番辛かったです。今まで以上に自分が居なくなったのです。なぜなら彼の一部として生活しようと頑張ったからです。夢も自分の生活も忘れるように努めたのです。辛くても、『近付き続けなさい』と言う先生の言葉を信じるしか他に道は無かったのです。週に一度の治療は私達二人にとって非日常から日常へと代わり始めました。でも、先生に会うたびに何時も喧嘩をしたのも事実です。お互いの
"Black Box"を開き、理解し、分かち合う事は、時に残酷なほど辛かった。でも二人は生きること、幸せになることに、真剣で一生懸命だったからどんなに喧嘩しても近付き続ける様に努力することが出来たのだと思います。私は感情がピークに達したり、過度のストレスを抱えると、40度近い熱を出す癖が有るのですが、そんな時でも、彼は、どっしりとかまえて私を支えてくれるようになりました。先生から得たものは、私達二人にとって、そして各々にとっても、お金では買えない一生の財産となりました。
『自信は他信から生まれる』そして、一度しかない人生、幸せ一杯でも誰も文句を言う訳が無いのです。2人の人生はスタートを切ったばかりで、これからも長く先生のお世話になりたいところですが、これからは、どんなことでも2人で乗り越えていけるように協力していきたいと思います。私は、幸せな環境が大嫌いでした。自ら不幸な道を選んでいたような気さへします。私は幸せが怖かったのです。先生が教えてくれた中で一番大きい事は、『他人を受け入れ愛すること、それは自分自身を受け入れ、愛してあげる事に繋がる』。ということでしょう。
感謝の気持ちは言葉では言い表せません。とにかく今、彼と居るだけで心から幸せです。でも、全てはこれからだと思っています。世界一幸せな夫婦になって見せます。そうそう、私達、結婚までしてしまったのですよね。二人のキューピットは、先生とデイジーです。
A美のグラフとドクター石塚のコメントは:(症例を見る)
次はA美のパートナーN之のコメントです。
N之 [Top]
30代前半で既に独立して会社を始めた自立心強固な青年経営者。自分自身の少年時代の『境界性人格障害』を成長と共に自力で乗り越え、優しく、自己制御に長け、達成意欲旺盛な青年経営者に成長しました。A美を熱烈に愛して諦めず、強引さと粘りで、遂に一緒に住むことを彼女に納得させました。
石塚先生には大変お世話になりました。私はアメリカ生活を11年程、誰にも頼らずに一人で生きてきた為、彼女に対しても心から頼ることなく接しておりました。人に心から頼ることの出来ない人間になっていました。そんな私の態度のために、私達の間には大きな壁が存在していました。しかし、先生の指導に従い、その頭の中のソフトウェアーを取り替えて、愛する彼女に頼り、頼られる関係に変える事が出来た為に、私達の関係は深く確実なものになり、結婚することが出来ました。多くの友人に囲まれながらも孤独だった一生から抜け出し、確実に愛する人と一緒に居ることが最も自分を安定させ、又自信にも繋がることを学びました。
『愛する人』と『愛し過ぎること』に恐怖を抱き、又幸せになり過ぎるとストップを自からしてしまう二人には結婚など不可能だと思っていました。お互いに愛し合ってはいたものの、つまらないことで喧嘩が絶えず、お互いを傷つけ合っていました。どうしてこんなに愛して居るのに、お互いに傷つけてしまうのかと何度も繰り返し悩んでいました。先生はそうした私達の間に仲介役として入り、見事に2人では解決の出来ない喧嘩をなだめることができました。又、愛する方法、近付く方法を教えてくださり、近付くことによって、精神が安定すると言う経験を通して、私達夫婦にとって最も大切な生きる道を指導してくださいました。
頭の中のソフトウエアーが人生に及ぼす影響は決定的なもので、そのソフトの問題を愛する人と先生と3人のチームワークで変える事が可能となり、変換後は自分が幸せな人生を歩める自信が湧いてきます。このカウンセリングの優れた点は、独りでない事です。2人で互いの言いたくない過去や本音をぶつけて克服する事によって、2人で人生を共にして行く覚悟と自信が持てるようになります。中途半端な愛ではなく、相手と自分を心理的に良く知り、相手を心から幸せにする責任をもてるようになります。独りで生きてきた私にとっては、初めて人と共に生き、人のために生きることの大切さと、喜びを教えてくれました。
このセッションで得たものは非常に多く、生涯2人近付き続ける事が可能になり、一生幸せな夫婦関係を築いていけると確信しています。
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S代 [Top]
40代半ば、ビジネスマンR蔵と結婚して3児の母。病気を知らない、元気者の頑張り屋として知られていましたが、2年前突然パニックに襲われて以来別人のように気弱で病弱になってしまいました。常に何時起こるか分らないパニックの恐怖に慄き、家に閉じこもり勝ちになり、車の運転もハイウェイは走れない状態でした。1年間の治療後、将来の患者の為に次の体験談を残してくれました。
43歳まで病気知らず、元気印と自他共に認めていました私が突然『死んでしまうのでは…』と、ある夜自宅で呼吸困難になり倒れてしまいました。救急車の中で意識が消えないことに気付き、病院で点滴を受けた後『何処にも異常が無い』と告げられ、いったい自分に何が起きたのか分らないまま、子供達の待つ家に帰ってまいりました。その日はひとまずホットしたのですが、でもそれが病との戦いの始まりでした。
長い間どんな医者にも異常が無いと言われ続け、原因がわからずにいた私は、『いつ倒れるか』、そして『自分でコントロールできない体』への恐怖、健康を失った自信の無さのため外へ出かけることが不安で不安で、何かに押しつぶされてしまいそうでした。
何回目かの発作の後、ますますひどくなる恐怖を何とかしよう、今の自分の状態から脱出せねばという一心から自ら石塚先生へ電話をいたしました。お会いした事も無ければどんな治療をなさる方とも知らず、暗い冬の夜、夫が運転する隣で目をつぶり、『早く助けてください』という思いで一杯でした。コンピューターの電子音が気になり、一人神経質に座った私のまわりに先生がいらして、夫がいて、そしてデイジー(ゴールデンリトリーバー)がいました。第一回のカウンセリングが始まり、色んな小さな問題はあった、あるにせよ、今まで問題なく幸せに成長してきた、暮らしてきたと思っていた私が気付いていなかったこと、忘れていたこと、満たされていなかったことを教えられました。涙が後から後から流れ、帰宅してからもその状態の中で何かが目覚めるような気がしました。そして、余りに神経質で臆病な自分と向き合う日々がはじまりました。
夫と結婚して幸せに(多少は喧嘩しても)やってきたと思ってきた私達は『それでは愛情が足りないのです。もっともっと近ずいて仲良くする努力を』と言う先生のお言葉には最初ビックリでしたが、カウンセリングを受けていくうちに私に平安感が生まれ、全てのものへの感謝の気持ちが強くなりました。病気になって何も出来なくなった事で全てに自信を失っていた私にも、自分がやりたくないと思った時、無理をしていると思った時は止めてもいいんだと、しなくてもいいんだということが、少しずつ分ってくるようになりました。自分を許せる、かわいそうにとも思えるようになってきました。
先生とデイジーと夫と私の4人(?)の治療は、私にとって居心地のよいものでした。コンピューターの電子音も気にならなくなっていました。そして、デイジーはカウンセリングからなかなか卒業出来なかった私にとって大きな慰めでした。愛される為に生まれてきた、自然体の
彼女はうらやましく、またセッションの度に会うのが楽しみでした。
長い間忍耐強く、しかも優しく付き添ってくれた夫には、心から『有難う』と思い感謝しています。今、毎日の生活は43歳前と変わらないように見えますが、病気を知らなかった頃のような無防備な行動はできません。卒業しても何もかもがスムーズに行くわけではありませんから、もどかしさを感じる時もありますが、これは自然なことだと思っています。受験を控えた娘の塾通いやレッスン等の為に、ハイウェイを
運転していますし、この前は4時間のオペラ観劇にも行く事が出来ました。今の私には充分なことです。こんな幸せな毎日が送れるようになったのも、こんな私を、そして私達夫婦を長い間見守って下さり、助言を下さった先生のお陰と思っています。カウンセリングの日々は懐かしく、幸せな思い出です。改めてお礼を申し上げたく思います。
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次は夫のR蔵のコメントです。
R蔵 [Top]
40代後半、タフなビジネスマン。S代の治療に参加しましたが、長引いた治療過程で、ライフトラック療法に対して懐疑的になりました。治療が14ヶ月で終了した時に彼は次のコメントを寄せました。
約3年前に妻の体に起こった突然の変調は、本人には勿論のこと、家族にとっても非常に大きな衝撃でした。もともとそれ程体力のあるほうでは有りませんでしたが、少なくとも病気で寝込むことも無く、元気な妻であり母であった彼女が、ある日突然の発作的症状以来、自らの健康に自信を失い、その後はだましだまし毎日を送るような生活となってしまったのです。体の機能自体には特別の異常は無いと言うことで、若干早い更年期障害ではないか、自律神経失調症ではないかなどと、根本的な原因は分らないまま抗鬱剤を服んで見るなどしながら、特に変化好転の無いまま1年半が過ぎました。
再度の発作的症状が出た昨年一月始め以前知り合いの方から聞いたことのあった石塚先生に、このままではいけないとのかなり強い意思のもと本人から電話し、精神科医とは一体どんな治療を行うのかも全く知らないままに、先生のご自宅を夜遅く訪問しました。患者はあくまでも妻であり、小生は単なる付き添いとの感覚で伺ったのですが、妻の子供時代からの生い立ちを分析し、現在の症状はそこから来ているとの説明に、大いに納得はしたものの、これからは夫婦揃って毎回のカウンセリングに来るようにとの指示には、驚くとともに面倒臭い話となってしまったというのが正直な感覚でした。
精神医学はまだまだわからない事だらけ、薬は所詮気休め程度、とにかく根本的治療薬は夫婦がもっと近ずくことのみ、とい言う内容のカウンセリングがそれから1年数ヶ月間続けられました。妻の症状は治療開始後も数ヶ月は一進一退と言った状態で、劇的な変化は特に見られず、本当にこんな事で治療になるんだろうかと思ったことも有りましたが、先生の言われることは一々説得力があり、そのうち小生も洗脳され始めたようです。
お陰さまで、時間はかかりましたが、どうやら通常の生活に戻ることが出来ました。妻が再び元気になれたという事で、小生も一安心では有りますが、先生からはまだまだ近ずきかたが足りないと言われそうですので、今後も精々努力を続けていこうと思っています。長い間有難う御座いました。
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F子 [Top]
30代半ば、結婚4年。誠実、責任感旺盛、有能、自立心の強い完璧主義者で、他人には優しく思い遣り深い。しかし、数年来パニック症状に悩まされて来ました。電車に乗るのが怖い為、職場の近所に引越した後、インターネットでパニック症状の闘病体験談を読んだ直後、その人と同じ激しい症状を呈してしまいまい、歩いても出社出来なくなってしまい来診しました。F子は、6ヶ月の治療が終了した時に、次のような体験談を書いてくれました。
今から6年前風邪を引いていた時に電車に乗って夜自宅から寮に帰る際、急に気持ちが悪くなって次の駅で降りました。それ以来電車に乗ることや、遠くに外出する事が不安になってしまいました。幸い!?私は病院に勤めていたので友達の看護婦に相談して、心療内科の先生を紹介してもらい、カウンセリングを受けながらいざと言う時の為に薬を貰い常時携帯していました。その後、アメリカで結婚生活をスタートさせ、仕事をする為には電車に30分乗ってと言う環境を苦しみながらどうにか続けていました。そしてもう電車に乗って通う事も難しくなり、歩いて会社から20分のところに引越し、薬も無くなった不安もあり、ある日インターネットで自分は何の病気なのか、そしてこれを克服して行くにはどうしたらいいのか等調べている時、私と同じ症状を持った人の体験談を読んだ次の日から、その人と同じ症状になって、一人で20分の道のりさへ歩くことが出来なくなりました。
しばらくは自宅に居ましたが、このままではいけない思い電話帳から日本人の精神科医を探し石塚先生に出会いましたが、
Ryeという所は私の住んでいる所から車で1時間もかかり、しかも行き又は帰りは絶対交通渋滞に巻き込まれるという環境で、先生のところに週1回通う事はとても決意が要りました。 最初は出かける前は何度もトイレに行ったり(朝起きると既に緊張して下痢気味)とても通うのは難しいと何度も思いました。夫のほうも協力してくれる時もあれば、もういくのは止めようという時もありましたが、私にとっては最後のチャンスだから私が自分から先生のところへ行くのは止めようと言い出すまではどうか行かせて欲しいと頼み約束してもらいました。
先生は毎回『もっと夫に近付きなさい。その為には夫を1日に30回誉めなさい』と言われました。私達は結婚して4年経ちましたが子供が出来ず、その分お互いを見つめる時間も充分有ったし、夫婦仲も良いと自負していたので、先生からもっと夫に近付く様にと言われ、それは私にとってはっきり言ってとても苦痛でした。誉める内容が見つからないし、自分のプライドもあったのかもしれないし、私のなかで気が付かないうちに夫を見下していたのかもしれません。最初の2ヶ月、症状は全然良くなっていないし、夫に近付く事で苦しくて何一つ前進していない様に思えました。
しかし、3ヶ月後から私の夫に対する心情が徐々に変わって来ました。夫と共に居ることが楽しい、お弁当を作ってピクニック気分で公園で食事をしてから先生の所に行ったり、共に過ごす時間を大切に感じるようになりました。
そして3ヶ月程経った時、午前中のセッションが終りお昼を食べて帰宅の途中、急にお腹が痛くなり、又この時間は最も交通が渋滞している事を思い出し、夫に『引き返そう』と言いましたが、もう既に半分以上来たのだからこのまま帰ろうと言われてしまいました。 案の定ひどい渋滞でにっちもさっちもいかなくなり、私自身どうしようもなくなり、隣のレーンにいるパトカーに私の状況を話せば緊急でこの場から逃げ出せるのではないか等と色々考えていました。その時ふっと『いくら渋滞していたとしても、一生渋滞しているわけでもないし、長くても1時間程したら動くようになるだろう』と考えたら、急に体も楽になり、症状も消えていました。 その時がきっかけで最悪の状況になっても『いかにポジテイヴに考えて行くか』を考えられるようになりました。
話は外れますが、先生の所に通う際、やはり薬があればそれだけでいざと言う時に助かると思い先生に薬は貰えないかと相談した時に、子供が欲しいのだから副作用のある薬は止したほうが良いといわれ、薬無しで本当に大丈夫かと半信半疑でしたが結局一度も薬を貰いませんでした。
5ヶ月経った時、先生の言葉で目から鱗が落ちた思いがしました。それとは、私は今までどれほど『自分が幸せになる事に意識的な努力をしてきただろうか』と言うことです。同じ時間を過ごすならば、嫌な思い、苦しい思いで過ごすより、幸せ、喜びを感ずる時間を持ちたいと思ったのです。その日から私はいかに自分が幸せを感じて行くかを常に意識するようになりました。
先生の所に通い始めて6ヶ月を迎え、卒業することになりましたが、毎日夫の顔を見ては幸せを感じ、毎日がとても新鮮な気持ちで過ごせるようになりました。まだ今の段階では症状が完全に無くなったとは言えませんが、症状を無くする努力をするのではなく『昨日より今日、今日より明日更に夫と共に居る幸せを感じて、喜びを増やしつつ、自分を見詰めながら生きて行きたいと思っております。
暖かく見守って、時には私の足りない事を指摘して下さった石塚先生、そして愛の自然な表現法を教えてくれたデイジー、どうもありがとうございました。
F子のグラフとドクター石塚のコメントは:(症例を見る)
ソフィー [Top]
40代、忙しいビジネスマンの妻。明るく、社交的で、有能、責任感旺盛、家事もスポーツも大好きと言う元気な頑張り夫人が突然劇的な身体症状を呈し、各科の専門医に診察を受けたが軽快せず来診。
ニューヨークに住み始めて数年目、忙しいとはいえ楽しく暮らしていたと思っていたのに、突然身体中が痛み出しました。毎日疲れてしかたがなくなり、物忘れがひどくなったり、いらいらして物事に集中出来なくなっていました。右わき腹から始まった、針で突き刺すような痛みが、全身に走り、特に背中や頭は我慢が出来ないほどで、4人のお医者さんに診てもらい、超音波やCTを撮っても問題がなく、途方にくれていました。一番辛かったのは、朝、目が覚めたら右目に激痛が走り、しばらくの間視力が落ちてしまったことでした。霧がいつもかかっている感じで、青空を見ても、きれいと思えない状態がしばらく続きました。あれほど好きだった車の運転も怖くなるほどでした。ストレスによるドライアイで、角膜炎になっていたとは全然気がつきませんでした。自律神経失調症になり、夜眠れなくなったり、すべての身体の機能をコントロール出来なくて、このままおかしくなってしまうような感覚がありました。今考えるとどうしてあんなに慌ててしまったのかと思うばかりです。
私は、社交的で絶対鬱になんかならないだろうと思っていた筈なのに、人と会うのもいやになり、いつのまにか無口になり、外に出なくなっていました。人から話しかけられるのがいやで仕方がなく、電話もかけなくなってしまいました。これは自分でもおかしいと気づき、石塚先生のところに駆け込んだ次第です。
石塚先生から、一人の人間が出来ることには、限りがあるんだよといわれるまで、私はそんな簡単なことに気づいていなかったようでした。いつも自分はひとより何でも2倍どころか、10倍も仕事をこなせると思い込んでいたようです。そして、いつも一番でなければいけない、まわりの人から褒められなければいけないと、頑張りすぎていました。充分出来ているのに、満足感が得られず、休む時間を惜しんでいつも動いていたように思えます。夜には、疲れて食欲もなく、ベットに倒れこむようにして寝ていました。
ひとつの作業に集中して終わらせる前に、次の新しい事を始めて区切りなく、動いていました。石塚先生から教えていただいた認識、展望、選択、行動のステップを心がけるようになってからは、格段に仕事の能率があがり、なによりも達成感が味わえて、疲れないし、楽しいという感覚が出てきて、本当に以前とは違う毎日になっています。最初は行動に移す前にこの手順を口に出したり、書き出した紙を見たりで時間がかかりましたが、3ヶ月を過ぎた頃から自然と出来るようになりました。このなんともいえない楽な感じは、ストレスがない状態なのかなあと思えるのも、以前はずっとぎりぎりに自分をおいていたようなところがあるからです。そして、以前は今言われている燃えつき症候群の一人でした。
主人も仕事に忙しく、永年一緒にいるのだから、口に出さなくてもわかってくれていると思い込み、いつのまにかすれ違っていたようでした。私がダウンしたことで、いままでになくお互いのことを知ることもでき、言葉にしてなんでも話せるようになりました。石塚先生が言われた総てが親近関係に関係あるということを、最初は半信半疑でしたが、主人と二人で石塚先生のアドバイスに従っていると、みるみる私の身体症状もなくなり、気持ちも落ち着いてきてびっくりするばかりでした。私ばかりでなく、主人も健康的に、また人生に対する考え方も前とは違ってきたようです。悔いのないように、毎日を愛し合って、二人で楽しく暮らしていこうというように考えるようになりました。以前は子供もいないので、二人とも仕事優先の生活でしたが、メリハリをつけて、リラックスして休む時間を作るようになりました。Lifetrackのシートをつける時間も大変役立ちました。つい無理をしてなんでも頑張ってしまう性格でしたので、一日を振り返る時間は大切だなあと思っています。
見える景色がクリアで、頭の中がすっきりしていて、空気が軽く感じられて、明日に何が起こってもあの4つのステップを使えば、大丈夫と思えるようになりました。いつも、どきどきしていた前の生活がうそのように、ゆったりとした気持ちを持てるようになりました。余裕を持っていられるのは、精神的な安定があるからだなあと思うようになりました。
薬を使わずに、こんなに早く変わってしまうとは、信じられないことです。最初に石塚先生から、私のソフトを変えると言われたときは、そんなことあり得ないと疑っていましたが、すごい変わり方でした。まわりの人からは、いきいきして、つやつやしているのは、エステに行ってお手入れしたのと聞かれますが、顔ではなく、こころのエステをしたからと答えています。
いつも、デイジーちゃんに会えるのを楽しみにセッションに通い、デイジーちゃんからもいっぱい教えてもらいました。人間もそうでしょうが、犬は敏感に人間の精神状態を嗅ぎ取る能力が備わっているとか。いらいらしている人間には近づかないらしいです。いつも笑顔で、自分に正直にうそをつかないで、生きていかなくてはと思いました。
本当に石塚先生には、感謝の気持ちでいっぱいです。あれほど、頑固だった主人も加点法でいかなくてはと、先生の言葉が口癖になりました。これまでは楽しみは最後に取っておいたらしいのですが、大切なのは今日の過ごし方であることを、やっと気づいたようです。この頃は、休暇の計画を早めに立てて、自分にあったやり方で仕事も趣味も両方楽しむことを実行に移すようになりました。何、が、一番重要であるか、どれから行動していくのかを考え、効率的に生活していくことを教えていただきました。肩の力を抜いて、自分の興味のあることを楽しみながら、人生のパートナーと充実した毎日を心がけていこうと思っています。
ソフィーのグラフとドクター石塚のコメントは:(症例を見る)
J子[Top]
20代前半の学生。2年前に寅男に合い、1年前から同棲をはじめて数ヶ月後から情緒不安定になりました。緊張、イライラ、月経不順、吐き気、倦怠感、落ち込んで涙が止まらない、そして寅男に激しい怒りが暴発して、物を壊す、乱暴する等が続き、婦人科径由で来診しました。寅男と一緒に行った6ヶ月のライフトラック療法で、J子は典型的な境界性人格障害を乗り越える事が出来ました。
J子は6ヶ月の治療終了時に、「境界性人格障害」に悩む人の為に次のコメントを寄せました 。
6カ月を振り返って
今思い出してもライフトラックを始めたばかりの頃は大変でした。もう、毎日が地獄!!
初診で先生に、「彼氏と近づきなさい、それだけでいい。そしたら君は良くなる。」って言われた時は正直嘘だと思いました。信じられなかった。
でも、あの時はもう、にっちもさっちもいかなくて先生に頼るしかなかったからとりあえず始めたって感じだった。
そして始めたらびっくり。前よりもどんどんどんどん悪くなっちゃって。毎日本当に辛かったです。どん底って感じ。
とりあえずはじめの2カ月は自分が壊れた。今思い出すのも辛いし、戻りたくもない。毎日泣いてたなー。それも普通の泣き方じゃなくて号泣。物は壊すし、彼氏には手をあげるし。
人が怖くなって外にも行けなかった。自分は世界中で一番不幸だと思ってた。落ちてたなー。体中の毛穴から怒りが出てくる感じも体験した。ホントにわいてくるのフツフツと。でも、一番辛かったのは、彼氏に対してもの凄い暴言を吐いてしまったこと。彼氏もかわいそう。あたしが逆の立場だったらはたして、付き合いを続けていられただろうか…。彼氏には、「あんたのせいで病気になった。」とか「私のこと分ってない。」とか「付き合わなければよかった。」とか。もうここに書ききれないくらいのことを言った。しかもすべての事に対して因縁をつけて彼にあたってた。全然彼は悪くないのに。ただ喧嘩をしたいだけ。自分でも分からない。思ってもいないことが勝手に口から出てきて…。言っているのは確かに私なのに自分の口から出てきた言葉を聞いて自己嫌悪っていう状態。それに一度怒り出すと自分で止めることが出来ないの。私はいったいどうなってしまったんだろう?って思ってた。もうこのまま壊れて死ぬのかなって。でも、私がどんなにおかしくなっても彼は側にいてくれた。怒り狂って爆発してもいつも側にいてくれた。何度も同じ事をやって、彼が怒らないのがわかった頃私のあの訳の分からない怒りはおさまってきた。2、3カ月かかった。
それからは徐々に良くなっていった。
前に比べて規模は小さいものの、1週間に1回は喧嘩してたな。なぜかイライラして。でもそのつど先生のとこで話を聞いて原因がわかるから(近づいたからって)安心して→また頑張って近づいて→喧嘩して。(笑)でも、前と比べて明らかに変わっていった事は、自分たちで喧嘩を収められるようになっていったこと。どうして私がおかしいのかわかるから対処のしようがある。二人で話しあえる。原因が分かるから怖くない。喧嘩の後はもっと仲良くなれるって知ってる。
しかも4カ月を過ぎたあたりからは泣くばかりじゃなくてお互いに落ち着いて思っていることを話せるようになっていった。そうやってどんどん良い関係になっていきだした。私も見違えるように元気になって、学校も行きだして、社交性も出てきた頃、彼が今度は鬱になって驚いた。先生によると「そうなって当たり前。」だそうだ。彼が揺れるほど私が良くなったって事だって。彼の鬱を喜びなさいっていうんだもん!!
彼が鬱になって私が今度は頼られる番になって初めて、彼が私にやってくれた事の凄さ、大変さが分かった気がします。ずっと泣き続ける彼を見るのは辛かったし、上手く元気づけてやる事が出来ないもどかしさ、悲しみがわかった。好きな人が苦しいのを見るのはもっと苦しいんだ。自分だけが苦しいと思っていたのは大間違いだったんだって、その時初めて分かりました。結局彼は2週間くらい鬱でしたがその後またすぐ元通りになりました。この彼氏の鬱がきっかけになって私たちの間に二つの太いパイプ(頼ってもいいパイプと、頼られてもいいパイプ。)が出来たような気がします。ライフトラックをしたことでお互いの不幸な生い立ちから来るうみがほとんど出たと思う。
治療を始めて6カ月目を迎えた今でもたまにはどちらかが少し不安定な時もあるけど、全然平気です。私は彼が私のことを愛してくれているのを知っているし、彼も私が愛しているのを知っているから、「あ、ちょっと調子が悪いんだな。じゃあ、私が(僕が)助けてあげるよ。」っていう感じで済ませることが出来るようになりました。目に映る世界も輝いて見えます。(本当に)ここのとこの2週間はクラスの子を家に呼んでパーティーをしたり、外に出かけて遊んだり、ご飯を食べに行ったりと色々してます。充実した毎日を送っています。体中にパワーがみなぎっている感じです。しかも、毎日、昨日よりも幸せ☆☆(スゴイ!!)
嘘みたいでしょ?でも現実なんです。(笑)
6カ月前のとんでもない私をこんな風に変えて(ひんまげて?)くれた彼氏と先生には心から感謝しています。ありがとう。本当にありがとう。デイジーもありがとだワン。
そして、最後になるけど、これを読んでる治療中のあなた。
どうかあきらめないで頑張って下さい。絶対に治るから心配しないで。今がどんなに苦しくても必ず良くなるよ。私もひどい時は出口のないトンネルにいるような感じだったよ。絶対にこの闇から抜け出せないと思っていたよ。何度も死のうと思ったよ。でもちゃんと光が見えました。あの暗い所から抜け出すことが出来ました。だからあきらめないで下さい。
自分のプライドを捨てて、もっと視点を変えて、自分の環境を、現状を悲観するばかりじゃなく、きちんと受け止めてみて下さい。美味しい物を食べたらニッコリしてみて下さい。
ちょっと部屋にきれいな花を飾ってみて下さい。そして自分に素直になって下さい。
みんな幸せになる為に生まれてきたんだから。
幸せにならなきゃ!!!!
私から伝えたいことは以上です。
長くなりましたがここらへんで終わりにしたいと思います。
みんな本当にありがとう。
J子のグラフとドクター石塚のコメントは:(症例を見る)
寅男 [Top]
20代の学生。1年前からJ子と同棲をはじめて数ヶ月後から彼女が情緒不安定になり、緊張、イライラ、月経不順、吐き気、倦怠感を訴え、落ち込んで涙が止まらない、そして寅男に対し激しい怒りが暴発して、物を壊す、乱暴する等が続き、寅男は耐えかねて彼女を同伴して来診しました。寅男も参加する6ヶ月のライフトラック療法で、J子は典型的な『境界性人格障害』を乗り越える事が出来ました。ところが、J子が安定してくると寅男自身が鬱になり、J子の優しい支えで鬱を乗り越る過程で彼自身も成長安定する事が出来ました。6ヶ月の治療終了後、『境界性人格』のパートナーとの関係に苦しむ人の為に次の体験談を残してくれました
。
今この卒業文?を書き始めて思った事は“あ?先生の所に行き始めてからもう6カ月になるんだぁ?。長い様な短い様な、、、”って
感じです。あの頃は本当に毎日が気が重たかったというか、緊張の毎日でした。。。彼女を怒らせない様に慎重に言葉を選んだりして。。。先生に会う日まではちょっとした事や理不尽な事(本当にちょっとした事)ですぐ彼女が怒り暴れ始め心の中で“なんでこんな事で怒るだぁ??????”と思いつつ謝っていました。そしてそれがどんどんエスカレートしてこれはもうプロの人に見てもらった方がいいと思い友人に紹介してもらったのが石塚先生でした。
そして初診の時に先生が「毎日このシートに点数を付けてください。」「辛い時でも近づきなさい、それが方法です」「彼氏は何を言われても我慢しなさい」と言われ“我慢ぐらいなんともない!!あ?これでもう彼女は大丈夫だ?直ぐに良くなる。。。
“と思ったのが超弩級の試練の始まりでした。どんどんどんどん彼女が明らかに日に日に悪くなって行くのが分かるのです。殴られるは、罵倒を浴びせられるは、家出をするは(五回程)、物は飛んでくるは、なんでも俺のせいにするは、旅行会社に電話して日本行きのチケットを予約するはでもう大変でした。(まだまだあるよー、でもダメ多すぎる(笑)先生には彼女が悪くなることについては予め聞いていたので自分をコントロールできたのですが二ヶ月目ぐらいから、「なんですぐ泣いたり、怒ったり鬱になったりするんだ!!」と思うようになり彼女に対して怒りや諦めなどの感情が徐々に湧いてきたりしました。始めのうちはなんとか辛うじてそれを彼女に出す事はなかったのですがかなりのストレスを感じていました。そしてとうとう三ヶ月目ぐらいになってから今までに溜まった感情が出してしまい彼女と大喧嘩。。。決してやってはいけないと頭ではわかってたのに。。。やはり仲直りするのは難しかったのですが(二週間ぐらいかな?その間は毎日話し合いをとことんと)なんとか関係を修復しなんであんな事を言ったのかな。。。と反省の日々でした。先生に言わせてみれば「ゲリ子の思うつぼだよ(ニヤ)」(笑)
こんな日々の間にも、たまに彼女が調子のいい日があるとホントに幸せな気分にひたることができました。たぶん彼女が良くなると毎日が楽しいだろうなぁ?と考えたりもしました。そして3カ月の終りぐらいかな?彼女がどんどん良くなって行くと同時に今度はなんと自分が鬱になって行ってしまい、あれにはホントにびっくりしたのを覚えてます。何もかもがどうでもよくなって、小さいな事で泣いたりして、人と会うのが嫌で嫌でしょうがなくなりついには学校を2週間も行けずに家の中にこもりっきりになっていました。その間、彼女がすごく看病してくれました。でもその時はそんな彼女がうっとうしく思えたりして“俺の側にいるな!!一人にしてくれ!!”とばっかり考えていました。先生は「それは喜ぶべき事でそうでなくちゃ困る。(ふっ)」って。。。おいおい。。。と思わず突っ込みたくなるお言葉を前々から貰ってはいたのですが。。。でもこの鬱をきっかけで彼女の辛さがちょっとでも分かったのは良かったと思います。(でも彼女の方が100倍いや、、、それ以上に辛いんだろうなぁ?)これでお互いを頼ったり、頼られても大丈夫!!って二つのでっかいパイプがはじめて出来上がったと思います。
そして今6カ月が経ちました。こうやって文にしてみるとホント色んな事があったなぁ?って思います。現在はやっぱりちょっと小さな喧嘩(って言っても月に一回程)をするけど前みたいの修羅場とは違ってお互いに冷静になって話し会う事ができて、そしてどちらか一方が心の調子が悪くても片一方がケアする事もできる様になりました。今これを書いてる間に改めてどうしてあんなに俺は頑張ったのかなぁ??という疑問がでてきました。そうしたら治療を始めた頃に先生のオフィスで自分が言った言葉を思いだしました。それは「酷く悪くなる前の彼女のことを僕は知っていてそんな彼女が好きだから。」
さっきまで忘れてた言葉なんですが多分自分の心のどこかで酷くなる前の彼女に戻って欲しい、早く二人で仲良く色々なことがしたいと思っていてそれが頑張れた原動力だと思います。それでたった今気が付いたんですが前の、酷くなる前の彼女より今の方が遥かにイイです、今、横で寝ている彼女の方がもっと好きですね。(笑)なんか凄くうれしくてこの6カ月間無駄じゃなかったと実感してます。
相手の方が大変でいっしょに治療してる方、相手の罵声に耐えてください。それは本気で言ってる言葉じゃありません。相手の側にいてあげてください。側にいたらいたで怒られますがいなかったらもっと怒られます。相手が女性の方で暴れたら仕返しをしようなど思わず怒らず優しくしてあげてください。彼女も好きで暴れてるわけではありません。相手が男性の方の場合は。。。スイマセン。。。先生に聞いてください。。。(汗)本当に大変なのは知ってます。泣きたくなりますよね、愚痴の一言でも言いたくなりますよね、こっちの事も考えろよって思いますよね。でもそれは相手のゲリラには通用にしません、問答無用です。でもこっちにも手段はあります。それは優しさです。これを続けて行けばじわじわと効いてきてゲリ子(男)粉砕です。(期間は人によってまちまちと思いますがかなりの長期戦だと思って覚悟を!!)
でも絶対に諦めないでください。僕も何度ももう駄目だと思いました。しかしそこで諦めたら相手の幸せを壊してしまうからです。しかもその上、自分の幸せも壊してる事になってしまうからです。大丈夫、その側にいる人は絶対に良くなる。
最後に石塚先生に本当に感謝してます、ありがとうございます。早く本が完成するといいですね、でもいつになるのやら。(笑)それと自分の彼女にも感謝してます。だっていい男に少しはなれたと思うから。。。勘違いかな?(汗)
寅男のグラフとドクター石塚のコメントは:(症例を見る)
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